昔から、「尾張の兵は弱兵だ!!」と言われています。

現実本当に弱兵だったかはわかりませんが、歴史的にはそう取られてもおかしくない事象も多かった様なので、その説を採用して話させて頂きます。

尾張というのは昔の地名で、今の愛知県のことです。

その尾張の兵というのは、戦国時代を終らせた英雄織田信長の足軽達の事です。
「え?強かったんじゃないの?」
私も初めてそれを聞いた時にはそう思いました。
「織田信長は、多くの戦争に勝ってるじゃないか!その兵士が弱いわけないだろ!!」
なんて幼心に思ったものです。

実は、戦で勝利する為に信長は独自の戦の工夫を考案したのです。
それを話す前に、状況を整理しておきましょう。

当時は兵士はどうやって集められていたのでしょうか。

それは、それぞれの大名の領地の村や町の農民達が集められたのです。その兵士のことを足軽と言います。
大名はその農民達に、食糧と一時金を支給して軍を編成していました。
ここで、面白いのが農民を足軽としていることです。

当時の国では、米がとても大切でした。米がなければ国は成り立たなかったのです。
そんな米は誰が作るのかと言えば
当然農民が作るのです。
つまり、農作業が忙しくなる農繁期は農民達が働かなければ米が作れないので、全国的に大名たちはその時期は戦を避けていました。
それでも無理して継戦する大名もいましたが、国力が低下するのは間違い無かったでしょう。

私も四六時中戦争しているイメージがあったので、これを知った時とても驚きました。

ともかく、その土地に生きる農民達が主力となっていたことは間違いありません。
大国でもない限り、武士を大量に召し抱えることは経済的にも出来なかったということです。

織田信長は、そんな戦のしがらみが嫌だったのか、画期的なシステムを考案します。
これが、戦国時代を終らせる原動力となったのは周知の通りです。

それは、「兵農分離」の原型を大々的に進めたということです。
信長が実行した「兵農分離」の原型とは、農業と兵士の兼業ではなく、兵士は兵士として年中いつでも戦に出られる様にすることでした。

これは、金銭的余裕のある大大名も一部採用していたことですが、
これをものの見事に徹底的にやったのが織田信長です。

これは、とても効果を発揮しました。
季節に拘らず兵力を集中させることが可能になった事に加え
「尾張の弱兵」と呼ばれ少数では心もとない兵士を、経済力をバックに相当数を戦場に送り込むことに成功しています。
これにより信長は、いつでも戦線の立て直しができたと言われています。

自軍の弱点を信長は熟知して存分に活用したという事になるのです。
この弱点を熟知した上で、自分が有利になる様に応用するという事は、
現代においても様々な場面で活用できると思います。
その一つの例として大企業と中小零細企業の差があります。

大企業は多くの人材を集めることができ、規模や物量などの優位をバックに人材交流など盛んに行われています。
様々な部署を経験するシステムも整っており、望めばかなりの事を会社がやってくれます。

それに比べ、その様な面で中小零細企業が劣るのは資本面、規模面からいた仕方ないことです。

しかし、大企業に比べ優れている点も存在します。
まず、全体のチームワーク、連帯感というものを生みやすい環境にある事は間違いありません。
大企業はそのスケールからなかなか全体的な連帯感を持つという事は難しく、また一人一人が会社を動かしているという実感が湧きにくいという点もありますが、
それとは対照的に
大企業よりも自分の仕事が会社にダイレクトに響き、
その実感の湧きやすい中小零細企業には、責任感のある人材を育てやすいと言う利点があります。

その結果容易に会社が発展して行く余地を開拓していくことができます。
また、時代の変化にいち早く対応できるのも、動きが軽いのも優れている点です。

信長が「常備軍」の弱点を見抜いて必ず敵より多くの兵力を揃え、味方の兵を安心させて戦った、
いわば自らの強みで弱点を埋め、強みを120%引き出した様に、

大企業は、数の力、スケールメリットをもっと引き出すために、一人一人のマンパワーと責任について今一度考察し強化することで、

中小零細企業は、チームワーク、連帯感を活かし、一人一人の卓越性をもっと引き出す為に、様々なチャンスを創出することを考えれば
現下の不況に関わらず、これから更なる発展があると思います。

最後に、不況下の立て直しと言えばこの方
上杉鷹山の言葉を紹介します。

「なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり 」